必読!おすすめビジネス書のご紹介

ビジネス書、何を読むべきか悩みますよね。ランキング上位を買ってみても、案外学びにならなかったり。そんな思いから、おすすめの本の概要を書くことにしました。外資系戦略コンサルなどで勤務した私が、おすすめの本をご紹介します!参考になれば幸いです!

遊びが学びに欠かせないわけ(ピーター・グレイ)

年上や年下の子どもたちと一緒に遊ぶ中で、社会性を身に着け、新しいことを学んでいく。そんな体験は学校ではできない、と思っていますよね。

それは大人の都合で学校が作られているからであって、子どもたちにとっては害でしかないのではないでしょうか?

子供がいる方にはぜひ読んでいただきたい本です。

遊びが学びに欠かせないわけ―自立した学び手を育てる

 

学校は行動を矯正するための監獄である

1642年にマサチューセッツは米国植民地の中で少なくともある程度の学校教育を義務づけた最初の週になりました。それは、清教徒の牧師によって運営される学校を意味しました。目的は「子供を良い清教徒にすること」でした。アルファベットを学ぶための例文として、キリスト教の信念を刷り込むようなものが使われたり、キリスト教の教えを丸暗記させて競わせたりなどを学校で学ばせました。
 
もっと大掛かりな、全員に共通したプロテスタントの教育を行う努力は、プロイセンで17世紀末に始まりました。ルターの経験主義の人たちが、自分たちにとってなじみのある学校制度を考えたのです。
人々は神に従わなければならない。権力を持っている人はその神によって任命されている。権力に従わないと神に歯向かうことになるので地獄に落ちる苦痛を味わう。よって全員が権力に従わなくてはならない。そのような理屈で学校の制度が作られていました。
 
結果として、学校の制度は正当な理由もなく子供たちの自由を否定し、責任能力と自主性を発達させる妨げとなり、学びの内発的動機付けを軽視しています。恥ずかしさ、思い上がり、皮肉、不正行為を助長する形でテスト、順位、比較によって生徒を評価します。

 

 

サドベリー教育の始まり

若い大学教授だったマイケル・グリーンバーグは既存の教育に疑問を感じ、マサチューセッツのサドベリーバレーの荒野に移り住みました。そこで子供たちが本当に民主的に過ごせるようなスクールを作り、「サドベリーバレースクール」と名付けました。大人は子供の教育をコントロールしない。子供は自分自身を教育する、という考えで作られた学校です。
 
しかし、異端であったサドベリーバレーは、アメリカの教育界において無視し続けられ、長らく秘密で存在を知られていませんでした。
 
サドベリーバレースクールはなによりもまず民主的なコミュニティーです。学校運営する主要な機関は全校集会で、それにはすべての生徒スタッフが年齢に関係なく1人一票を持って参加します。週に1回行われ、任意参加です。例えば4〜7歳は通常は参加していませんが、プレイルームが閉鎖されるかもしれないという議題が上がった時は大勢が参加して意見を述べていました。
 
どのスタッフに翌年も残ってもらうかという決定も投票でおこないます。そのためスタッフは生徒に価値を与えないといけません。生徒とスタッフの比率は15対1であり、スタッフは生徒がなにかを学びたいと思ったときのリソースとしての役割を果たします。例えばゲームや政治、文学など様々な分野が学びたいことに該当します。
 
生徒は1日中自由です。学校の中とキャンパス内であればどこに行っても誰と一緒にいても自由です。たいていは異学年で一緒に行動しています。
 
この学校の哲学的な大前提は、一人ひとりの生徒が自分の教育に責任があると言うものです。学校はカリキュラムを設定せず、テストも行わず、生徒の評価も行いません。もちろん機械を使いたいなどの場合はそれを適切に使うことができることを証明する形でその器具を使うための資格を取らなければなりません。
 
また卒業証書が必要な生徒は自分がなぜ卒業する準備ができたのかを説明する論文を書き、それを擁護しなければなりません。論文は学校の哲学に精通した外部の評価者によって評価されます。学校の関係者は評価を行いません。
 
生徒たちは完全なる民主的なコミュニティーにおいて持続的に自由を楽しみ、責任を練習し続けます。
 
そんなに自由な環境で友達がいなかったりいじめられたりしたらどうしようと思う事はあるかもしれません。しかし、実際そのような事は起きていません。例えば4歳が8歳の子達が遊んでいるところにまじろうとして、断られたとしたら、それを見ているさらに年上の子供がそれを注意します。「君たちが同じことをされたらどう思う?」と。大人が言うよりもはるかに効果があり、子供たちは4歳児に謝罪して一緒に遊び始めます。異学年で交流していることでお互いがお互いから学び合い、より良い人格を形成していきます。
 
 

熟練者は観察されているときにより良い結果を残すが、新人は逆になる

バージニア工科大学の心理学者ジェームズマイケルたちは実験を行い、ビリヤードのプレーヤーの観察から、誰かに見られながら何かを行う事は新人にとって悪影響があるということを報告しました。他の実験でも、対象者が自分のパフォーマンスを観察され、評価されているときはすでに高いスキルを持っていた人の結果は良くなったものの、そうでない人は悪くなりました。

 

これを学校に置き換えると、数学を初めて学んでいるような生徒が先生から見られたり他の生徒から見られたりすると、パフォーマンスが低下すると言えます。つまり人と比べて評価をする学校教育は、優秀な人がより伸びるがそうでない他の人たちは伸びにくい環境であると言えます。

 

同時に、良い結果を出すような圧力は新しい学びを妨げます。 
 

遊びは挑戦する楽しみがあり、反復性がある。

自分ができそうでできないちょっと難しいことを自ら行い、そしてできるようになったことを何度も繰り返し行うことで、成長します。
例えば、歩き始めた子供は走ったり飛び跳ねたり登ったりすることに自ら挑戦していきます。赤ん坊がしゃべり始めた時は、しゃべれるようになった同じ音節を繰り返し使ってしゃべります。同じことをやっているように見えても、その中でちょっとずつアレンジを加えているのです。
これは、動物でも人間でも同じです。
 
 

危ない遊びに価値がある

すべての幼い哺乳類は自然と居心地が悪くほどほどに危険で、ほどほどに恐ろしいと思う状況に自分を置きます。
例えばヤギの子供が飛び跳ねる時、着地が難しいようにあえて空中で身悶えします。猿の子供は木から木へ飛び移る時、恐怖の度合いを上げるために枝同士がある程度離れていて、かつ大怪我にならないような低い高さで飛びます。

ほとんどの幼い哺乳類は追いかけっこで遊びます。そして追いかけられる方を好んでいます。猿でも羊でもリスでも、あえて片方がじゃれ合うように相手を攻撃し、そのまま追いかけっこに突入し、追いかけられる方を楽しんでいるのです。おそらく追いかけられる方がスリルが味わえるからだと思われます。
追いかけっこに加えて、哺乳類、特に幼いオスはたくさんの遊びで喧嘩をします。しかしその時、相手との力差を意図的に見抜き、自らハンディキャップを背負って簡単に勝ちすぎないように、また相手に怪我をさせないように調整をしています。このようにじゃれ合いながら喧嘩をすることから子供たちは多くのことを学んでいきます。

こういう遊びをしていないと、手加減をすることや危険な状況でどうやって体を動かすかということを理解しないまま大きくなってしまいます。
 

異年齢混合グループで遊ぶことでお互いが成長する

子供たちを年齢で分離する状態に置くようになったのは、西洋では100年前、他の国々では過去30- 40年の間です。それ以前はずっと、異年齢の子供たちが一緒に過ごし一緒に遊び学んでいました。
異年齢混合グループで遊ぶことにより、幼い子供は自分たちだけでは難しすぎたり、危なすぎたりする活動に取り組み、そこから学ぶことができます。上の子供を見て真似して学びます。今日誰かの助けがあってできた事は明日1人でできるようになる、ということを遊びで練習し続けます。そして年長者は相手のスキルに応じて調整すると言うことを学んでいきます。
  • キャッチボールをする時、4歳児2人ではそもそもできません。一方で4歳児と8歳児がキャッチボールをする時、8歳児がうまく調節してあげることにより2人でキャッチボールをすることができます。そしてしばらくすると4歳児がキャッチボールできるようになっているのです 
  • 子供たちが野球で遊んでいる時、バットを持つ10代の子供は、年長者に対してはボールを強く打って飛ばしますが、4歳の子供の方には柔らかく打ちます。皆が楽しく遊べるようにルールも柔軟に変更しています。これはレスリングなどでも同じことが観察されています。
学校において、学習は子供主導ではなく、大人主導で行われます。
あらかじめ決められたルートの上に順序だてで行われるものと理解されています。学校では子供たちの年齢は皆同じです。したがって年長の子供と一緒に遊んでスキルを身に付けることができませんし、年少の子供と遊んで責任感を学ぶこともできません。
学校では自主的な遊びや探求は、崩壊と捉えられます。公園や運動場はもはや子供たちが自由に遊ぶ場所ではなく、大人の指導や規制のもとで決められたように遊ぶようになっています。
 

あなたが子供の未来を左右するという考えを捨てる

もし私たちが自由と個人の責任を大事にするなら、私たちは子供が自分の人生を切り開く権利を尊重しなければなりません。大人は子供の将来を気にかけています。したがって子供をコントロールしないようにするには困難が伴います。しかしコントロールしようとすることが子供から人生のオーナーシップを奪い、目標を台無しにしてしまうのです。失敗から学ぶことを阻んでしまいます。
あなたの子供はあなたでは無い、ということを信頼に溢れた親としてよく覚えておくことが重要です。あなたの子供が成功しようが失敗しようがそれは子供次第であって、あなたのせいではありません。
 
自分の経験を振り返っても、まさにそのとおり!と言いたくなるような話ばかり。いかに学校が大人のために作られているのかということがわかります。変えましょう。