必読!おすすめビジネス書のご紹介

ビジネス書、何を読むべきか悩みますよね。ランキング上位を買ってみても、案外学びにならなかったり。そんな思いから、おすすめの本の概要を書くことにしました。外資系戦略コンサルなどで勤務した私が、おすすめの本をご紹介します!参考になれば幸いです!

エクストリーム・エコノミー(Richard Davies)

世界の極限には特別な経済が存在する。津波による壊滅から復活したアチェインドネシア)や難民キャンプのザータリ(ヨルダン)のようなレジリエンスの高い経済圏もあれば、外部不経済の影響等により、極めて脆弱かつそこから抜け出す道が見いだせないサンディアゴキンシャサコンゴ)、ダリエン(パナマ)もある。

 

秋田やタリン(エストニア)のように特殊な環境で特殊に成長した経済もある。

一貫して言えるのはいずれのエクストリームな環境にある経済というのは、それぞれの都市が今後進むであろう道のヒントになっているということである。エクストリームな場所を参考にすることでそこから学び、それに備えることができる。

 

その意味で、筆者が数年に渡りフィールドリサーチをした結果の本書は、とても価値の高い情報を得ることができる本である。

 

エクストリーム・エコノミー 大変革の時代に生きる経済、死ぬ経済 (ハーパーコリンズ・ノンフィクション)

 

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サバイバル経済

アチェ

アチェインドネシア)は、2004年のマグニチュード9.2の津波により跡形もなくなった。政府の保証などはなく、生き残った住民は自力と海外からの援助で再建するしかなかった。

しかし、結果としてしっかりと再建された。その理由として海外からの人、金の援助はあっただろうが、それ以上に住民の意思の強さ、そしていざというときのために金(ゴールド)を身に着けて保有しておくという独特の文化が功を奏したと言える。そのゴールドを換金し(やろうと思えば買い叩ける悲惨な状況でも、市況価格で換金してあげた地元の貴金属ディーラーの存在も忘れてはならない)、初期費用をまかないながら皆自分のできる商売を始めた。そして、地域は復活した。

ザータリ

ヨルダンのザータリにある難民キャンプは、キャンプと呼べないくらいの規模となり24万人くらいが暮らしていた。もちろん、皆命からがら逃げてきて、何も持っていない状態でキャンプに来ていた。

住民のあらゆる工夫と、それを(規模が大きくなりすぎた結果仕方なく)管理しない当局、というのが絶妙な化学反応を起こし、とても魅力的な経済圏が出来上がった。6人あたり1つのお店が出現し(みな住居などを改造したりしてお店にしていた)、生き生きとした生活をしている人で溢れていた。

不法売買、密売については当局の取り締まりもあったものの、それから逃げるすべを住民と外部からくる密売人(多くは少年)は身につけていた。

ある意味成功事例であるこの難民キャンプは、管理したい当局からしたら許せない存在だった。そのため、目と鼻の先のアズラクに、難民キャンプを作った。ここでは住居、商店、敷地などがすべて計画され、失敗がないように思えた。生活必需品は確実に手に入り、住居も申し分ない。

しかし、難民たちからするとゆとりがなさすぎた結果、とても不便な社会主義状態になっている。不要なマットレスは掃いて捨てるほどある一方で、衣服はあるが、たらない、そして調達するすべもない、などである。皆が同じ服を着て同じ生活をした結果、精神的に苦痛を感じる人が増え、監獄のようである。

この2つの難民キャンプの対比は、都市の設計の難しさと、人の欲求のピラミッドの満たし方について考えさせてくれる。

ルイジアナ

アメリカのルイジアナは、大きな刑務所があるために人口あたりの囚人数がとても高い。それにつられて犯罪率も高い。そのルイジアナの刑務所内でも非公式な経済がレジリエンスの高い状態で存在維持している。様々なものが取引され、(それには看守も入っている)初めは通貨はタバコだった。しかし、全面禁煙になるとタバコを持っていても取り扱いが難しい。もちろんドル紙幣なんて全て没収されてしまう。

そこで、焼き菓子になったり、サバ缶になったり、色々なものが通貨として取り扱われた。そしていまでは、「ドット」というリアルマネーに紐付いた番号が使われている。例えばあるものを買うときに対価としてある数字13桁を伝える。この数字が仮想空間にあるある数量のドルを示している。受け取ったほうは刑務所の外にいる知り合いにそれを伝え、口座に入れてもらうと危険なく自分の口座に入金される。そのため、リアルなものを必要としない経済が出来上がっている。

驚きなのは、このシステムが公式には禁止されているにもかかわらず形を変えながら刑務所内では当たり前のルールとしてみなされていることである。キャッシュレスの技術がこういうエリアも変えていく。

 

失敗の経済

ダリエ

パナマとコロンビアの境にあるダリエンでは、外部不経済によって負のスパイラルが回っている。

ダリエンには素晴らしい熱帯雨林がある。そこで資源をとることもできる。しかし、道路がつながっていない。港もない。そのために適切な手段で貿易をすることができない。道路がないため、コロンビアとパナマを行き来したい人、例えばコロンビアからアメリカへの亡命を目指す人、はダリエンの密林を徒歩で移動せねばならない。全財産を持って。

結果としてそれを狙う強盗や、悪質なガイドがはびこることになる。

その状況があるため、地域住民も生計を立てるためには焼畑農業やら貴重動物の搾取やら伐採やらを通じて得た資源を二束三文でブローカーに渡さざるを得ない。物流がないために自分たちでビジネスをすることができないためである。お金にならないので大量の資源を浪費することになる。結果として貴重な自然が破壊されていく。

政府が機能していれば道路を引き、適切な収入を地域住民が得られるようにすべきなのだろうが、それはできておらず、この状況は一向に改善する可能性が見えない。

キンシャサ

コンゴキンシャサは、典型的な悪い独裁者により破壊されたエリアである。賄賂が横行し、税率は高く、産業も育たない。農地は破壊されている。

全権を握り、間違った考えで政治を行い、そして全てを自らの利益にした大統領の統治期間に全ては狂った。国内の農作物の価格を異常に低くした結果、農家は作物をやめた。そして高価な輸入品に頼っている。公務員の給与は削減を重ね、挙句の果てには大統領が「普段の業務でお金を生み出せるはずだ。但し民が怒らないように少しずつやるのが良い」と賄賂を推奨。その大統領は莫大な富を築き、髪の毛を切るためだけにニューヨークからファーストクラスで美容師を呼び、年間で13万ドル以上を浪費するくらいでった。時々ハイパーインフレが起こり、紙幣の価値はなくなる。

結果として未だに産業はゼロ、そして住民はその日を生きるために生活し、賄賂の支払いは日常茶飯事。この状況では今後も改善は見込みにくい。国を私物化し、それを牽制できる外部介入もないとこのような状況が生まれてしまう。そして一度生まれると、是正は困難だ。

グラスゴー

かつての造船の街、グラスゴーは時代の流れとともに衰退し、そしてある政策により住民の心も荒んでしまったという例である。造船技術の向上や投資がうまく行かなかった結果として、産業は衰退、仕事はなくなった。ただ、それで終われば何らかの可能性があったのかもしれない。

グラスゴーでは造船業の急激な拡大に合わせ、集合住宅が作られた。そしてそれを中心に街が出来上がった。集合住宅は日本の団地よりもさらに密集していたようで、キッチンが実質共用になっていたりした。しかし、それが故に地域コミュニティは強く、鍵をかけずに出かけ、そして調味料がたらなければ借りに行くというのが普通であった。

その後、住宅が4方に再建築され、住民は適当に割り振られた。新しい住居は広く設備は整っていた。しかし、地域のつながりが完全になくなった。そして、店舗等はそのまま、バスなどの整備も送れたため、住民の生活は悪化した。

仕事もなく、地域のつながりも失った住民は命を断つ人も多かった。

未来の都市

秋田

老人が極めて多い街、秋田。世界的にも最先端である。そしてその最先端は、いずれ各都市が向かう先でもある。

その意味で老人が老人を助け合い、遊び、生き生きと暮らすという意味で好意的に受け取られている。ここから学び進化させ、人類は備えねばならない。

タリン

ソ連時代に急激に力が低下したエストニア。そこからの復活に向け、政府が着目したのがデジタルだった。1990年代からプログラミング教育を必修化し、「住民に住所などの情報を聞くのは一度だけ」というスローガンで政府、自治体の手続きを電子化していった。

結果として、いまでは限られた手続きを除き、スマホで完結するようになった。公務員のコストも大きく削減できた。こんな事例は他に例を見ない。人口は150万人と超小規模にも関わらず、スカイプの創業者を生み出すなど、デジタルの分野で世界に引けを取らない存在に一気に進化した。これは政府の選択と集中が時代の流れとぴったり一致した例である。今後人口減少が進む各都市において、タリンのような方向性はとても良い事例となる。

読みながら感じたが、日本にとっては市町村単位で公務員が存在し、しかも各自治体が雇用維持に奮闘しているこの状況を変えないと、これらの変化を起こすことはできないだろう。政府自治体の組織のあり方を含め、見直さないと財政が立ちゆかなる日がもう迫っている。

サンティアゴ

チリのサンティアゴは外から見ると経済復活を成し遂げたお手本として語られる。一方で、内部を見ると半端ではない格差社会、それも中流階級が小さいという問題を抱え、増幅しながらGDPを増やしてきた事がわかる。

上位10%の人が国民の所得の半分を獲得する。そして問題なのはその10%は利権を持つことで儲けており、必然的に世襲となる。中流層がおらず、他の国民は給料日までお金が持たず、日々の食料品をツケで買い、利息を払わざるを得ない。物流網を含む都市の構造から、裕福その方が日用品を安く買え、その他の国民は何割か高い金額で買わざるを得ない。

では教育などで逆転のチャンスが有るかというと、残念ながらそれがない。学校は公立<私立<上位私立<トップ私立という序列が出来上がっており、かつそのランクが学校単位で決まっている。就職のときは大学名に加えて高校名が見られる。企業側は上位高校の生徒の人脈を買うわけなので、上位の高校に入れないと人生の成功確率は低くなる。そして最も問題なのは学校の序列に応じて学費が変わり、それを補助する制度もないことだ。つまり、裕福層でないと勝ち残れない仕組みになっている。

大学も私立が多く、金儲けしか考えていないところが多い。医学部を卒業して初めて、その大学では医師免許が取れない(大学が認可を取っていない)というようなこともザラだ。

これもその前の次代の社会主義への反省から極端な民主主義に振り切った政策の結果である。GDPが伸びたという意味では成功とも言えるが、この二極化も、今後の都市が向かう一つの方向と言える。

 

最後に

これらの都市はいずれかの視点で尖っている。そしてその尖っている方向に、あらゆる都市が進んでいくのではないか。それは人口減少や高齢化、グローバルでの経済競争の優劣が進むにつれて、今は中間にいる都市もエクストリームの方向に進まざるを得ないのではないかという視点からである。

とてもありえる予言であり、その意味でこれらの都市を知っておくことは非常に有益である。

 

 

出典:

エクストリーム・エコノミー 大変革の時代に生きる経済、死ぬ経済 (ハーパーコリンズ・ノンフィクション)