必読!おすすめビジネス書のご紹介

ビジネス書、何を読むべきか悩みますよね。ランキング上位を買ってみても、案外学びにならなかったり。そんな思いから、おすすめの本の概要を書くことにしました。外資系戦略コンサルなどで勤務した私が、おすすめの本をご紹介します!参考になれば幸いです!

教養としての世界史の学び方(山下範久)

歴史は何らかの意図を持って作られたものと言えます。
 
つまり、何が事実か、はわからない。歴史を本格的に学べば、自然とクリティカル・シンキングが身につきます。
 
先日の共通テストでは、まさに思考力を問う問題が歴史科目や地理科目でも多く見られました。いままでは年号を暗記するといったような実生活に何が役立つかわからないサービスが学校で提供されていましたが、これからは授業も変わり、「文系の学生はクリティカル・シンキングをしっかり身につけている。素晴らしい」と言われるようになるのではないかと期待しています。
 
そんな歴史を一段高い立場から書いている本です。正直、難しい内容でした。私は世界史の知識が深くないので、混乱しながらも頑張って理解する、という読み方でした。その分とても中身が詰まっています。
歴史、と聞くといい思い出がない、という方にも、ぜひ読んでいただきたいと思います。まさに、教養です。
 

教養としての 世界史の学び方

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

歴史は、何かの意図を持ち、誰かが書いたもの

古代において、歴史は市民の政治教育のためにあった。
中世に入ると、歴史の目的は神の栄光を証明することに変わった。
 
 
歴史を解釈するとき、当たり前ではあるが今の常識に沿って解釈してはならない。
当時の解釈に沿って、理解すべきである。その意味で、その当時の法律や主張が参考になる。
 
歴史とは、過去、何らかの理由により、事実だ、と信じられている過去の断片をいい感じに繋ぎ、配列したものであると言える。
何が正しいか、は実は誰にもわからない。
 
 
何を事実として選び、残すのか、については歴史を書く人と読む人が属する社会の価値や信念に左右される。
 
その意味で、歴史と神話は実はよく似ている。 そして、歴史と神話の区別は難しい。
 
 
 

近代の境目

近代、と一言で言っても、その区分は諸説ある。
歴史における近代は、グローバル化が進んだ時代とも言える。
それは世界が一体化したとも言えるが、実態として閉じた複数の世界が次第に統合されたというわけではなく、むしろもともと存在していた複数の世界の関係のあり方が変わってきたというほうが正しいだろう。
 
近代以前では、複数の文化を持ちながらも一元的な政治体系で支配されていた、世界=帝国が主流だった。
 
しかし1500年頃にヨーロッパで資本主義のメカニズムを備えた世界=経済が誕生した。そこでは、文化的にも政治的にも多元的なシステムが世界を構築した。
この変化を近代の境目と考えるのがスムーズだろう。
 
 

「世界」の捉え方

世界、という言葉は、イスラム世界、とかヨーロッパ世界、というように、地球全体ではなくその文化を持った集団のことを指す。
インターネットや飛行機が地球を容易に繋ぐようになるまでは、その「世界」は分離していた。 もちろん物理的につながってはいたし、往来もあったものの大抵の人々は他の世界に行くことができなかった。よって、世界をつなぐ商人が大きな力を持っていた。
 
近代にグローバル化が進んだことで、急速に世界の統一が進んできたが、それは逆に国という単位を意識した歴史が形成されることに繋がった。
(むしろ、前出のようにグローバル化が進んだ時代を近代と呼ぶ)
 
ちなみに、古代のヨーロッパの大プリアニスは、ヨーロッパとアジア、さらにその外側で構成される三層構造を提示していた。 すなわち、ヨーロッパは自由な市民による本当の意味での人間が住む地域、その外側のアジア、アフリカは隷属を特徴とする一段劣った人間の住む地域であり、 さらにその外側には未知の怪物が住んでいる地域があると言う。 当時はこの三層構造が自然の秩序として捉えられており、それを踏まえて歴史が解釈されていた。
 
 

地図でさえ、18世紀までは事実よりも古典の影響のほうが強かった

16世紀に ヨーロッパの地理学者オルテリウスにより描かれた世界地図には、地球の南に大きな大陸が描かれている。
一見すると南極大陸のようにも見えるが、当時はその存在は知られていなかった。描かれた根拠はギリシア古典であり、そこでは自然を均衡を本質とすると考えられていた。
だとすれば、北半球に基地の大陸がこれだけあるのであれば、南半球にもそれほどの大陸があるはずだと考えられていた。
その事実の確認のために、 イギリス王立科学協会の指示で、ジェームズ・クックが南に航海を行った。 クックは、3回の航海にわたってその存在を否定する報告を行った。クックの航海を契機とし、その後世界地図は古典からの推定ではなく、実証的、経験的な知識に基づくものへと転換していった。
 
 

気候変動を契機に国家の力関係が大きく変動する

古代3世紀より前には、シルクロードを起点としてアジアでは多くの都市国家が交易を行いながら平和に暮らしていた。 北には遊牧の狩猟民族がおり、暖かい地域では農耕が発達していた。
(これは後に述べる、アジアでは異なる種族が互いに機能を補完し合っていたということに繋がる)
 
それを変えたのが、3世紀から始まった気候変動、つまり寒冷化であった。
 
暖かい地域が寒くなる分にはまだ耐えられたものの、北の寒冷地がさらに寒冷化したことで生命が危ぶまれた。 何より、北の内陸地に拠点を置いていた遊牧民たちが、生存をかけて南下し、争いが起きるようになった。もともと機動力があり、軍事力も優れていたので武装難民化したわけである。
これにより、平和が終わり、遊牧民を迎え撃つ側の都市国家や古代帝国が著しく混乱した。 これを契機に従来の統治システムが機能しなくなり、新しい統治体系や社会構造が模索されていた。
 
そして 中国やトルコによるアジアの統一などがなされたが、その後9~10世紀において地球は温暖化に転じた。そこでまたアジアでは勢力が大きく変わっていき、 モンゴル帝国が出来上がった。
 
そのモンゴル帝国も、14世紀以降の地球の寒冷化に伴い、モンゴル帝国内の都市の統治が維持できなくなっていった。
 
このように、一度栄え、安定した世界も気候変動などの外的要因で大きく揺れ動く。
 

大航海時代により、地中海、イタリアが弱体化

大航海時代は地中海の位置づけを決定的に変えた。もともとは シルクロードの最西端というハイウェイとしてヨーロッパ/トルコ/アフリカをつないでいたが、それがローカル線と化してしまったのだ。 地中海がヨーロッパに組み込まれるとともに、イタリアが凋落していったのもそのためである。
 
このように、技術の進歩がある地域の重要性を著しく変化させることが起きる。
 
 

ヨーロッパから法の支配が生まれたのは、国の中で機能が完結していたから

アジア史の大きな特徴の1つは、軍事、商業・生産、政治といった各セクターを、それぞれ異なる種族、集団が担うシステムをとっていたことである。
つまり、互いに異なる言語、習俗、技能でまとまった 遊牧民、商業民、農耕民が 互いに分業しつつ提携していたのが、アジアだったと言える。
 
一方でヨーロッパは 治める官も治められる民もすべて一体で運営されていた。アジア史と西洋史の本当に大きな隔絶はここにある。
ヨーロッパはいわば官民一体である。それにより裁判制度が育まれ、国家体制で言えば民主主義国民国家になる。そして、法の支配を生み出していった。
 
 

君主制の終わりへの恐れが南仏戦争を生んだ。そしてその中でナポレオンが生まれた

1789年のフランス革命により、周辺諸国の君主は焦った。自分たちも国民主権になってしまう、君主の絶対権力が無くなってしまう。
 
そして、フランスに戦争を仕掛けた。しかし、フランス革命軍は強い。
その後フランスにはナポレオンが出現。ヨーロッパを蹂躙した。
 
 

新大陸の開拓、は歴史を書いた側の発想

開拓、というのは征服者側の発想であり、原住民からしたら殺戮と略奪。歴史は勝ったほうが書くので美化されやすい。
 
17世紀はじめ、最初にアメリカ大陸に住みはじめたヨーロッパ人はイギリス人。彼らは、アメリカにおいて自然の征服という課題に取り組んでいた。
そこにいた先住民は、あくまで無数にある課題の一つ、としてみなされ、征服されていった。
多くは奴隷にされ、特に南部では綿花の製造を増やすために率先して開拓と奴隷化が進んだ。
とはいえ、当時35万世帯が奴隷を持っていたが、多くは数人の奴隷のみ。多くの奴隷を抱え、プランテーションを運営していたのはわずか8000世帯に過ぎなかった。当時から大きな格差があった。
 

国の人口が国の強さに。

チンギスハーンの時代以降、しばらくはモンゴルと漢民族は対等の関係にあった。しかし、18世紀の航海時代のころ、中華圏の人口が1億から4億に激増した。
それにより中華圏の力が強くなりはじめ、いまのモンゴルと中国の関係性のようになった。
とはいえ当時は清だったので、国としての中国はまだまだ弱かったが。
 
その強さが、今の中国の強さにつながっている。
 

宗教の捉え方

近代的なヨーロッパの宗教学には、キリスト教をモデルにした宗教のもとにその他の宗教を編成し直そうとする力が多く働いていた。
そこには他者を前にした恐れが根底にあったと思われる。
 
日本の神道のように、キリスト教のように一神教ではない宗教は アニミズム という霊魂観念に中心概念があるプリミティブな宗教である、と一段下に見られている。
 
そのキリスト教も、 カトリックプロテスタントによる宗教対立で16世紀半ばから1世紀の及ぶ宗教戦争を引き起こした。 
プロテスタントの主張の核心は、信仰と実践の関係の調整であった。つまり従来の教会を中心とする儀礼実践に支えられた信仰ではなく、 個人の信仰が先にあり、儀礼実践は二次的だということである。
 
そのため、教会や神父、それに関連する有力者たち(王や皇帝など)が重要ではなくなる。
 
その代わりに、聖書とそれを読解することで神と直接向かい合う個人が前面に出
てきた。 一言で言えば、信仰と実践の中心が教会から個人の内面に移っていった。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以上です!