「わかる」とはどういうことか(山鳥 重)
薄くて読みやすいですが、名著です。とても深い。
生徒を持つ教育関係者の方々にはぜひ読んでもらえると嬉しいです。
思考、わかる、脳の動きからしてどういうものなのか。面白いです。
「思考」とはなにか
心の働きには大きく2つの水準がある。一つは感情で、もうひとつは思考。
感情は心の全面的な動きで、ある傾向を表す。なんとなく好き、嫌い、であって、理由ははっきりしない。
一方、思考は心臓という心理的な単位を縦に並べたり、横に並べたりして、それらの間に関係を作り上げる働き。感情とは違い、「心像(Mental Image)」というある程度かたちあるものを相手にする。
思考の単位となる「心像」はこころに思い浮かべることのできるすべての現象を指す。
視覚映像だけではなく、触覚や聴覚、嗅覚なども含む。
そして、その「心像」は知覚することではじめて生まれる。知覚の働きの基本は「違いがわかる」ということ。違いがわからなければ、それは区別することができないのでその間の関係性を考えることができない。
俗に言う専門家は、この知覚の働きが人よりも細かい人のことを指す。例えば酵母の専門家は、常人が見たらおなじみに見える酵母の差分を「知覚」することができる。それにより、その酵母間の関係性を「思考」することができるようになる。
差を見つけるためには注意を向けることが重要であり、注意を向けるためには好奇心が重要となる。
よって、何言にも好奇心を持つことが、思考を深める根源となる。好奇心→注意→知覚→思考、という流れになるためである。
この「心像」には2種類ある。知覚心像と、記憶心像である。知覚心像は見たものを区別することである。例えば、オレンジ色の物体と、地面とを区別することで2つがあることがわかる。そのオレンジ色の物体は、自分の記憶をたどった結果、人参だった、と認識するのが記憶心像である。
知覚と記憶、双方が研ぎ澄まされていくことで対象物を細かく区別して思考することができるようになる。
その記憶心像に音をつける、というのが「名前をつける」ということである。オレンジ色の円錐形状のなにか、という記憶心像を他者に伝える際、人参という音がついていると格段に便利である。それが名前、として使われていると考えられる。
そして、その名前が、相手の思っているものと同じであるかどうか、ということを理解しておくということも重要となる。社会共通で名前が使われていないと意味は通じないためである
「わかる」にも色々ある
「わかる」と感じるのはどういうときか。
- 全体像が見える
- 整理できたと思う
- 筋が通ったと感じる
- 空間関係がわかる
- 仕組みがわかる
- 自分が思う規則に合う
逆に言えば、数学の問題を解く時、丸暗記したばかりの、自分では理解できない規則に沿って計算し、答えを出したとしても、その仕組も、全体像もわからないし、筋が通ったかどうかもわからない。問題は解けたけどわかったという感覚は無い、ということになる。
そして、わかるためには、「自分は何がわからない」という事がわかっていることが必要である。もともとの知識の目があって、そこに当てはまらないものが出現したときに「わからない」となり、わかるために整理をし、それに当てはまる目を構築したときに「わかった!」となる。
逆に言えばもともと何もなければ、わからないものもわからないし、わかった!となることなど、ない。
ミステリー小説では、何がわかっているか、何がわかっていないか、を明らかにしながら進んでいく。それにより、わからなかった部分がわかったとき、読者はわかった!と感じ、スッキリする。
自分で何がわかっているかわかっていないか混乱しているときは、それを言葉にしたり図にしてみたりすると良い。そうすれば、わかったつもりだったがわかっていなかったもの、が明らかになり、つまりわかるための土台ができる。
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確かに、今何をやるべきか、仕事で混乱している時、図に起こすととたんにスッキリしてサクサク進むということがあります。何かリサーチするときも「何がわからないから調べる」を明確にしてから動き始めたほうが効率はかなり上がります。
そうか、脳の働きからして当然だったんですね...勉強になりました。
出典:
「わかる」とはどういうことか ――認識の脳科学 (ちくま新書)